パフォーマーの私が1億円を達成した理由
今は昔と違い沢山の電子媒体が
増えました。
etc…
いわゆるインターネットを使った
「SNS」と呼ばれるものです。
だからといって、
「テレビが完全になくなったのか?」
と言われればどんなことありませんし
街中で見かける大道芸が消えたわけでも
ありません。
しかし昔と比べ参入障壁が下がった分、
パフォーマンスをする人の数が
日々増えていく一方です。
ただ問題は、そのほとんどが
お金になっていない、稼げていない
ということです。
ということは、
SNSは気軽に始めれる分、
激戦に勝ち抜く率が高まることから
売れるのは更に難しくなると言えます。
これでは安易にインターネットや
SNSを使えばいいということではなく
埋もれる人が増えるだけとなります。
この観点で見た場合、
むしろインターネットやSNSは
使わない方がいいように思えますが…
実際にインターネットを使うことなく
パフォーマンス「だけ」を生業にし
『億を超える収入』を得た人がいます。
この方はマジックをSHOWとして行い
全国から依頼を受ける形で行なっていましたが、
どんなに努力しマジックの腕を磨いても
一向に売れない時期を何年も過ごしました。
一時は、芸能事務所に所属し
テレビに出ることもありませんしたが
なかなか思うような収入は得られず
大半の時間はバイトを行い食い繋ぐ
ということを行なっていました。
そんな中、
あることをきっかけに人生を一変させ
気づいた頃には、収入を爆上がりさせ
あれよあれよと言うまに
収入は「億を超えて」しまった
と言います。
あまりに突然の出来事だったので
何が起きたのか本人も最初は理解
することができていませんでしたが
時間を置き、冷静に考えてみることで
バイトを行い貧乏生活を続けていた頃との
違いを知ることができたといいます。
それが、
あることを知るきっかけでもあり
取り入れることで人生を大きく
変えた出来事でもあります。
しかし多くの人は、
売れないSHOWにしがみつく
傾向にありますが、
SHOWの先にはお客さんがいて
その場に集まるお客さんというのは
見たいSHOWというものがあります。
言い方変えれば、
売れる「人気SHOW」です。
これは多くのパフォーマーが
勘違いしがちなことですが
この売れるというのは2つあり
この2つがあります。
そこを混同し考えてしまうと
この先、どんなに努力し頑張っても
日の目を見ることはありません。
パイが小さすぎるからです。
しかし、
この2つの視点と事実を受け入れ
パフォーマンスに取り入れることが
できれば、
これまでの経歴とは一切関係なく
売れるSHOWを手に入れ
人気と収入を得ることが可能です。
この続きが気になるという方は、
「パフォーマーの私が1億円を達成した理由」
というテーマを元に収録した
音声がありますので、
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この違いを知るだけで
バイト生活で一生を終えるのか?
パフォーマンスを本業に変え
人生花開かせるのか?
の違いをリアルに体感することになります。
俺が技術がある腕がいいというだけの
パフォーマーは巨万といます。
口だけの売れないバイト野郎と
影口を叩かれる前に秘密を知って
ください。
ここにパフォーマンスをお金に変える
糸口が隠されています。
パフォーマーの私が1億円を達成した理由
講師プロフィール
鈴木貞春 (すずき さだはる)
1975年4月1日生まれ 山形県出身。
神田外語大学英米語学科卒。
現在、株式会社S2プロダクション 代表取締役
幼少期からひょうきんで落ち着きがなく、いつも先生に怒られていた。通信簿は6年間全学期「落ち着きがない」と書かれる。
指定席は先生の机の隣。小学校低学年の頃から、ドリフ、とんねるず、ダウンタウンに憧れ、お笑い芸人になると決意。高校では生徒会長も務め、学校の人気者。
高校卒業後、東京に出てすぐにでもお笑いをやりたかったが、親の反対にあい、浪人して 東京で寮生活。行きたいとは思えない大学というものに受かるため、1年勉強しなければならず、うつ状態になり、人気者だった性格が一変。誰とも口を利かない浪人時代を過ごす。
何とか大学に合格し、すぐに高校時代の相方と東京吉本NSCに入学。が、相方に逃げられる。 東京吉本NSC1期生。同期は品川庄司。
その後新しい相方とコンビを組むが、売れずに、 吉本興業→浅井企画→ソニーミュージックアーティスト→ワハハ本舗と事務所を転々とする。 売れない時期にマジックを習得し、コメディマジシャンとして何度かメディアには出るものの、 売れるとは程遠く事務所からの給料は毎月1桁台(月商7万円)バイト生活が15年続く。
メディアで売れるという夢を諦め、事務所から独立。自身でショーを作り売り始める。
売れているショーを研究し、数々の独自のショーをプロデュース。注文が相次ぎ、独立から2年で売上2500万。会社設立。
設立してすぐに新型コロナが流行し、売り上げは0に。貯金を使い果たし、借金生活に。
新型コロナ流行が収まると、ぶり返しで全国から注文が殺到し、年間ほぼ毎日仕事で埋まってしまう。
自分のスケジュールが埋まっているため、自分のショーを全国のパフォーマーに演じてもらうことにする。
メンバーが増えると同時に、行ける仕事が増え、売上は急上昇。
2024年エンターテイメント業界で、ショーの設計や人材育成を通じて年商1億円を達成。
ショーに関しては、機械的な設計に頼るだけでなく、出演するタレントもプロデュースし、パフォーマーの能力を引き出すことで彼らが国内外の舞台で活躍できるよう支援をしています。
テレビ番組『笑点』にわずか3ヶ月で出演を果たしたタレントや、 1ヶ月で売上100万円を達成したり、年間売上1,000万円を超えるパフォーマーを多数輩出。
自己プロデュースにより自身もマジシャンとして活動し、 『笑点』『エンタの神様』『レッドカーペット』『ガキの使い年末特番』など数多くのテレビ番組に出演。
世界各国でショーを行い、韓国、台湾、タイ、マレーシア、アメリカなど、多くの賞を受賞。
ハリウッドでの5度にわたる公演を含む、国内外での幅広い活動を続けております。
今現在、現場のショーはメンバーに行ってもらい不労所得を得ながら、自身は新しいショーの開発、タレントプロデュースをしたり、気が向いた時にショーをしたりする自由な生活を過ごしています